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4月19日

4/19 18:45

4月19日は地図の日🤗🗺️💡







地図の日(最初の一歩の日)🇯🇵


寛政12年閏4月19日(1800年6月11日)、伊能忠敬が蝦夷地の測量を行うため江戸を出発したことにちなむ。







今日は、社会の授業で出てきた📚

あの有名な伊能忠敬さんが

地図作成のために第一歩を踏み出した

記念すべき日なんですね🤗💡❗️







伊能忠敬🔍


日本の江戸時代の地理学者、測量家 (1745-1818)




寛政12年(1800年)、56歳から、文化13年(1816年)まで、17年をかけて日本全国を測量、73歳で死去。


その後は弟子たちが遺志を受け継いで『大日本沿海輿地全図』を完成させ、国土の正確な姿を明らかにした。








伊能忠敬さんが地図作成のために

第一歩を踏み出したのは

なんと56歳😳😳✨❗️





新しく何かをはじめるのに

年齢は関係ないんだなぁ🥹✨

と思わされる人物ですよね😊⭕️












🗺️伊能忠敬さんの地図の評価🗺️





🏯忠敬の作った地図のすばらしさは、幕府も国々の大名もみとめていました。


🗺️測量に協力した大名には、「私の国の、地図がほしい」とたのまれて、さしあげたこともありました。


👀日本全図(「大日本沿海輿地全図」)が完成すると、江戸城の大広間に広げられ、将軍家斉(いえなり)や、そのほかのえらい人たちにお見せしました。


🙌「これは、すばらしい!!」と、だれもが声をあげたようです。







🌏忠敬の地図を見た、外国の人たち



🚢このころ(1854~60年)になると、外交や貿易をもとめる外国の船が、日本のまわりにやってくるようになりました。


🇬🇧イギリスの船は、日本のまわりの海で測量を始めます。


🗺️各地の大名と外国人とが、あらそいを起こすことを心配した幕府は、測量を早く終わらせようとして、忠敬の作った地図をイギリス人にわたしました。


😳広げられた忠敬の日本地図を見たイギリス人は、その地図の正確さにおどろいて、測量をやめて、引きあげたといいます。


❌その当時は、地図を国の外へ持ち出すことが禁止されていました。


🌍少し後のことですが、長崎出島にいたシーボルトが、日本から地図をこっそり持ち出して書いた本によって、忠敬の日本全図がヨーロッパの人々にも紹介されます。


🏆その地図を見た、有名な探検家が忠敬の地図をほめたことから、世界中で有名になりました。


😇もちろん「伊能図(伊能忠敬の作った地図全体をこう呼ぶ)」の正確さ、美しさは、その後の日本でもみとめられ、新しい西洋の技術を取り入れた地図ができるまでの間、永く使われました。

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